2016年1月31日日曜日

gudachan引退のその後の予想

gudachanがブログを削除したそうですか、
1.ネイバーまとめ運営当局を強要。インセンティブを不正獲得。
2.SEALDsとは異なる似非リベラル団体を設立。カンパで生活。
3.Fランではない四年制大学の文学科に入学して作家になる。

のどれでしょうか?(笑)

2016年1月28日木曜日

gudachanのブログが、削除されたようです。

gudachanのブログが、本人の都合により削除されたようです。

しかし今まで1200以上の記事を作成していたのですね。時間と労力を無駄にし、何も成果を産まなかった事よりも、アンチとヘイトを産んだ事実。惨めだったでしょうね。

とはいえ、数週間は監視する必要があります。人の噂も75日どころか一年たって復活してくる可能性がありますから。

2016年1月25日月曜日

地方とサブカルを遠ざけたgudachanの末路

gudachanの今

 今のgudachanはどうか。在特会による海外の文化・民族を憎悪する輩はあまりにひどいが、何もそれはそいつらに限ったことではない。地方ヘイトのダシである話題の情報ソースはネットで地方ヘイトのまとめサイト・素人参加型メディアなどに由来しているから、元凶はgudachanである。ついこの間まで「地方分権!」とか「首都機能の分散を!」と煽っていたgudachanが、そっくりそのまま反地方に「転向」して、なにかにつけて「湘南すごいぞ」「田舎はオワコン」の自画自賛に耽っているのである。

2010年代にあって、「まともなgudachan」はもう終わってしまったんだなあと、私はこの頃思う。社会全体を見れば、完全に終わっていないかもしれない。だが、東京に本社を構える全国マスメディア空間と、そのマスメディアを転写したり逆張りすることでなりたつgudachanを観ていると、そこではもう俺様主義は完全に終わっている。
 湘南人らしさをことさら誇張することは、「逆コース」を連想するものであり、地方差別の痛々しさを肯定して、死んだはずの東京マンセーの亡霊を呼び覚ます罪でしかなかった。そして、何より、いまだ中央集権に固執する恥ずかしい数少ないゆとり教育の失敗作でしかなかったのである。

ところが、こういうものが無様だという当たり前の正論より、「湘南人らしさ」を開き直ったようにふりまいたり、あるいは「首都・東京的概念」を解体したり脱却しようとすることこそ敬遠するような、そういう極めて「中央集権的な」風潮が、一部のネット世代の手によってジワジワと広められるようになったのが2010年代半ば以降だと思う。つまりいまからちょうど3年前だ。その元凶はネット原住民空間というよりは、北陸新幹線や北海道新幹線に反対した勢力あたりがほんとうの「戦犯」なんじゃないかと思っている。そしてそれに隣接する諸々の人間が、本当にみっともないほど都会の勝ち組そのものの劣等感に蝕まれた。わずか3年で、ここまでおかしくなったように思う。


gudachanはネット世代ではない

 ネット世代を象徴する1つの文化がある。
 それは「サブカル」だ。1990年代にインターネットを通じて日本で発生したサブカルは、2000年のITバブル以降、一気に全国に広まった。

 2000年代から、サブカルは日本人の特に若者にとって「新興文化」みたいなものになった。オタク層に限らずネット世代全体で言えば現在でもそうだ。
 サブカルは違う。インターネットさえあれば、メインカルチャーとは違う文化がが楽しめる。流行雑誌とかと無縁で「ニッチでマニアックな文化を」楽しめるのである。

当時の非ネット世代は、サブカルを敬遠した。こんなもの文化ではない。三流音楽以下だと。なぜ否定したのかと言うと、それは日本のそれまでの文化とあまりに異端するからだ。したがってカルティズム(カルト宗教のカルトの意味ではない)の典型的な標的となったのだ。

gudachanの極みの極みである頭の悪い人間の負け惜しみと善悪二元論の「好きな文化=グローバルスタンダード、嫌いな文化=ガラパゴス」と決別し、新しい時代を築き上げようとしているネット世代を知らない21世紀世代の文化の基本系は、つまるところこのサブカルにこそあったと思う。
 ネット世代ならとりあえずサブカルを愛するような、若者が多いネットに繋げればとりあえずこういうものが溢れているという時代は、私の記憶する限り、2014年までは続いていたと思う。
  つまり、gudachanが一般的な現代語以上に難解でお堅い言い回しの悪口を用いているという時点で、常識から脱して自由な世界を目指そうというサブカルの精神は矛盾する。サブカルはより奔放になって楽しく盛り上がろうだが、gudachanは露悪趣味である。陰気内向的人間がチクリと冷笑するような発想に基づく。

そのgudachanが、ある種社会に浸透した象徴がネイバーでのデビューで、それが2012年のことだ。と言えば、本来なら素人参加型のまとめサイトであるはずのネイバーまとめで捏造コンテンツの量産をやったことでアゲられている。そしてそれを全力で擁護している人たちもまた、gudachanの考えに共感している頭の悪い人間だったのだ。
 gudachanのブログは政治イデオロギーはなく、おそらくたんなる露悪趣味だろう。ファシズムと名付けた地方を破壊しようとしたりとか、ガラパゴス文化を弾圧しようと仄めかす表現したりとか、「頭がアレ」なことを面白半分でやっているだけだと思う。しかし、こういう流れが不寛容とか、そういうあらゆるヘイトに作用しているうちに起きたのが、今のgudachanにおけるスターリニズムなのだ。

ロックな、そしてポップな、爽やかなgudachanはかくして死んだのではないかと思う。2012年にすくなくとも輝きを失い、2013年以降は、「俺様主義」の勢いの中に埋もれていった。話題の文化ネタよりヘイト記事を量産するようになり、ヘイトスピーチ問題がウヤムヤにされようとも、地方とサブカルに常時矛先を向けている。こんな無様な人間。

だが、私はうっすらと思っている。本当は多くのネット世代が、王道を生きる人たちが、前を向いて生きる人たちがいて、「gudachanの現状はおかしいだろう」と思っているんじゃないかと。


21世紀、主流的な進歩発展の流れに乗ってきたネット世代であれば、必ずみんな思うはずだ。はっきり言って今のgudachanは異常だ。元凶は就活に失敗したのは自分の努力不足なのにマーチ上がりの上京者に職を持って行かれたという被害妄想を植えさせてしまい、地方ヘイトをする道を選んだ、ネットで地方ヘイト記事や捏造ゴミコンテンツや世代煽りなど全方位煽り記事をばら撒く「gudachan」本人にあると。

〇〇叩き本とgudachanに通じるもの

 駅前の書店に行ったとき、ギョッとした。
 つい少し前まで軒先には「嫌サブカル本」があったのだが、今やそこにあるのは「嫌地方本」である。多様性を目指そう、文化を足掛かりに好奇心や肯定的な関心を広げていこうというネット世代の善的発想が否定されたら、日本の文化に牙をむくようになった挙句、地方にさえ厳しい評価を下すようになったのが、今の日本だ。

 こんなのおかしいに決まっているのだ。
 2年前、地方を批判するということはありえただろうか。「のんのんびより」のようなアニメが流行り、田舎に泊まろうという番組も地方を洗練された面々だったのに、文化的な嫌オタクが政治的な嫌オタクにすりかわったように、嫌地方になってしまった。

 たとえば、あなたが何らかの「〇〇叩き」しか内容がない書籍を買うとしよう。産経でもいいし、ムックの嫌韓でも何でもいい。通常これらの書籍は、作者の政治思想と自己万な主張だらけ作られている。ところがこれらよりにもっとひどい内容の書籍があったらどうだろう。たとえばそう、gudachan名義の本だ。この本は、他者の本よりレイアウトが良いが、文字が見辛い。内容がいい加減。それでいて書籍には「農耕民族の村社会国家・日本を糾弾する。」と書いてある。その内容は「田舎者を日本社会から追放しよう」「ファミコン世代を叩きだせ」「サブカルは日本の癌」とナチスと同等かそれ以上のヘイトスピーチしか詰まってない。こんな製品が実在したら、買った客は当然出版社にクレームをするだろう。同様のクレームが数件あれば、出版社はその製品が宣伝や書に書かれたとおりの機能がないことを確認し、出版社はその本を廃刊にして自主回収にするだろう。さらに、著者は危険人物として取り引きを停止するかもしれない。著者は様々な非難を受ける。当然のことだ。

そういうナチズムやレイシズムの地続きに、世代と地域単位でしか物事を考えられない、中央集権的なgudachanみたいな「都市と文化単位」に媚びるしかないような、閉鎖精神的な哀れな主張が私は許せない。こういう人間が後ろ指をさされる世の中にならなければ、多様性と調和のある成熟国や先進国の質に日本は到達しないはずだ。
2016年1月現在、gudachanのブログにはコメント欄やメールフォームなどのgudachanへのコミュニケーションツールは一切設置されていない。はてなブログの運営当局はこういった閉鎖的で独断的なブログのコメント欄やメールフォームツールを原則表示設定にせよ。もし炎上行為があっても改善されなければ、このブログの記事をを全て強制削除せよ。

敗因は分かった。SEALDsとgudachanよ、お前達に未来はない!①SEALDsと手を組んだから負けたのだ

 24日に投開票のあった3市長選挙の結果は、野党系の敗北であった。
 それぞれ横田、岩国、普天間の3在日米軍基地がある。特に普天間の辺野古問題は日本の安全保障の上での重要な懸案となっていて、「オール沖縄・対・日本政府」の様相となっていた。2014年の名護市長選以来勝ち続けていた反辺野古系のいわゆる「オール沖縄」は、今回初めて負けてしまった。
 SEALDsやgudachanからすれば、「不正選挙だー!」という感じなんではないか。オール沖縄が本土に波及することを阻止した。そして、「民意が示された」ことを補強させることにつながり、今夏の参院選や衆院選での勝ちにつなげることができる。その先に、改憲がある。

 では敗因は何か。渡は上の記事にあるようにSEALDsとgudachanににあると思う。多くの日本人、特に無党派層や本当の革新層からすれば、さすがに馬鹿と似非リベラル集団の集まりだし、国柄が一変するような、そういう混乱は求めていない

この集会や選挙では、安保法デモで恥を晒したgudachanも応援演説をしていたようだが、SEALDsではなく、ただのFラン出身者の方のようだ。つまり、大阪の都構想やW選挙のようにSEALDsの学生たちがそのまんまあの低能知識を丸出して応援に駆け付けたわけではなく、雰囲気としては戦争法案集団的自衛権はいらないと叫んでいる「壊れたラジカセ並み」の応援者という感じだったんだろう。(その上、当然ながら大阪のこれらの選挙もSEALDs側は負けている)

私はリベラルの方でも分かり合える方は大勢いると思っているし、じっさいその通りなのだが、大多数のSEALDsメンバーは、男性であれ女性であれ知性と秩序というものはない。ただ単に反対ー!みたいなそういう考えを持つということは一種の異常者みたいに思われている。当然「ゆとり世代」はその傾向がある。つまり20代さえ票を得ることは全くない。

 SEALDsは「民主主義ってなんだ」とか「野党は共闘」などの、自己中心的で馬鹿で間抜けで幼稚なスピーチに失笑だった。馬鹿馬鹿しい(そもそも皆偏差値が低すぎる)のはもちろんだし、「意識高い系」みたいな、しゃべり場とかジレンマにいそうな気色悪い感じもあった。

赤旗は、市民革命的な動きは次々と起きていて、高まっているかのような報道を連日している。革命前夜なのだろうか。

  しかしSEALDsの連中たちは、そういうことを求めているようには思えない。自分たちはただ「お祭り気分で戦争法案に反対してーwww」をしたいだけ。未成年の分際で飲酒や喫煙をしたり、正論を突かれると狂ったかのように叫びだすし、gudachanのようにネットで地方ヘイトや捏造ゴミ糞コンテンツを量産したり・・・こういうものが「俺かっけーぜwwww」と思ってデモが起きたのである。

私が新宿伊勢丹の大規模デモを実際に見物したところ、確かに応援しているのはgudachanみたいな知性も教養もない馬鹿ばかりで、gudachanみたいな地方ヘイトを伺える発言はあったが、そのレベルの低さこそがSEALDsメンバーの象徴じゃないか。新宿通りの歩道で、まるでヤンキーがイチャモンをつけるようなノリで目が合った通行人にいちいちキレ気味な調子でアジっているSEALDs(もっというと、ヤンキーが他の学生に絡んでいるような感じ)がちらほらいて、ちょっとヤバいものを感じた。トラブルでも起きて「あざらし」にもっていかれるんじゃないかと思ったが、ああいうSEALDsを公の場から追放した方がいい。繰り返すが、SEALDsは意識高い系の変なニオイしかしないのだ。「安保法案反対デモとかいう政治運動に参加している俺かっけーwwww」という感じである。



あるいはSEALDsに対する嫌悪感をさらに激化させ、「ネット世代のゆとり世代」みたいな層にばかりとらわれればgudachanは間違いなく極地に立たされてブログを消すかもしれないし、gudachanがSEALDsを応援しても、gudachanがよっぽど大ポカをしてまたデモが激化しない限りは、𧾷アシが早いくらいくらいの衰退も難しいと思う。
 とにかく、去年の安保法のデモの反応でわかったようにSEALDs嫌いが国民の大多数である。 「主張はそうでも、票に結びつかない」ことには必ず理由がある。大阪の敗北から、あるいはgudachanと言う馬鹿が無意識にSEALDsを応援してしまう事などを綿密に調べ上げ、応用するしかないと思う。

はてな運営はgudachanのブログを強制削除すべきだ


Twitterでは大学教授などがgudachanしか使わない単語をまき散らして、gudachanのバズっている話題をなぞるなどして「きれいなヘイト」をまき散らしている。
そんなことがあれば普通の国なら新聞沙汰となり、大学側が処分をするだろうが、日本においては一部の似非リベラル(しばき隊)だけがそのきれいなヘイトで対抗言論を張っているのだ。

10年前のgudachanは、こんな事が行われていたのだろうか?

当時なら、まだgudachanは主流マスコミ空間と分断していた。湘南マンセー発言も一切なかった。私はこの元凶は「反ヘイトブーム」を間違えた方向で活かした事にあると思っている。
その結果、gudachanはサイバー時代の歪みに引きずり込まれる事になったのだ。


だから、はてな運営当局は「gudachanへの厳格な制限」にするべきである。
ネットのメディアリテラシーに関する専門家などで検討を重ね、具体的にこのブログはNGだという基準を設けて、それをすべて弾くようにするべきだ。当然、ボンダイというgudachanのブログは閲覧してはいけない代表格となるだろう。

大阪市ヘイト条例という画期的な条例がある。

橋下徹前市長が作ったものだ。gudachanとかいう冷笑ヘイトブロガーは「ヘドロ橋下」などと誹謗中傷をツイートしていたそうだが、彼もgudachan同然の書き込みをしまくっているので、この条例ではアウトとなる。

地方ヘイトを規制するための条例だが、これがあることで、現実社会と切り離されたgudachanがブログを無法地帯のように我が物顔で好き放題振舞っていたgudachanを委縮させる有効な効果イモなると思われる。
ネット過激派の最大の情報源はgudachan(NAVERですらない)だが、gudachanの客寄せ要員の1つだったヘイト記事が更新できなくなれば、
PVが多く減り、運営が成り立たなくなる。ネット空間から地方ヘイトな領域が減っていけば、よほどわずかな「電子空間上の誹謗中傷や憎悪の自由を愛してやまない」
卑劣な人間ことgudachanがふるいにかけられることになり、彼のような異端な存在は、「国民世論の良心」によって糾弾を受けることになる。

大阪市だけのこの条例だが、茅ヶ崎でも、横浜でも、関東の自治体で当たり前のように広めるべきだし、もっといえば罰則規定を設けた「地方ヘイト規制法」を作るべきなのだ。
欧米なら当たり前にあるのだから日本でも作ラないとダメである。「ここは湘南だ!田舎ではない!」のうちはうち、よそはよそ的な発想ではだめだ。
そうやって湘南から、神奈川から、地方ヘイトを消し去る作業をするとともに、権力があり地位があって社会的に影響力のある
はてな運営当局はgudachanのブログ記事を強制削除を徹底するべきだ。

gudachanに浸っている都会人が存在すること自体が問題であり、それは社会に容認されているのではなく、「野放し」なだけである。
ただしgudachanは現実空間とインターネットそのものの区別がつかないのて、彼の「無知」をいいことに、「ネット時代」を理由にgudachanの低俗捏造ゴミ屑コンテンツを堂々と表に出し、大衆娯楽感覚でそれをまき散らすという罪を行っているgudachanは猛省せよ。

2016年1月24日日曜日

gudachanを人格否定させた反地方感情は「韓国そのものへの憎悪」に似ている

  gudachanやしばき隊などの似非リベラルらはよく口々に「東京は日本一素晴らしい都市」と言っている。貶しているのは地方だけだ、という妄想である。
 しかし現実には、東京では地方蔑視は存在している。もっとひどいことはいくらだってあるのだ。一方、私は地方に行ってもこういう差別を受けたことはない。電車の中とかで現地の人がみな標準語で親しげに話しかけて至れり尽くせりしてくれる。

 ネット時代の最大の恩恵は、地域を越えて情報が入るようになったことである。
 それには交通網などの便利な情報もあるだろうし、負の情報だってある。それぞれを、バランスよく入手すれば、「東京がどんな町並みか」とか「地方はどうなっているか」をつかみ取るように把握できるようになった。

 多くのマトモな人であれば、こうした社会事情を知れば知るほど、「都市部も地方も五十歩百歩」ということに逆説的に気づかされるのである。
 地方にはネット環境がある。夜間に暗い田んぼを歩いてもも身の危険を感じることはなく、廃墟が落書きだらけでもない。都市部より治安が悪いとしても日本全体で見れば微々たるものが多くで、普通に定住をしたりする分には都市部と勝手にほとんど差はない。これが現実なのだ。
 つまり、反地方は「韓国そのものへの憎悪」の第一歩なのである。
 田舎がこんなに危険だ。田舎者はこんなにひどい。村社会はこれほど問題。ということを誇張すればするほど、そんなものよりさらにヤバいような地方との心理的なハードルは高まり、「だから都会は素晴らしい」という面ばかり補強されて排他的精神に陥りがちである。

 実際、gudachanは、全くもって地方に疎い、地方に行った事がない。そして「コテコテ都会人の文化」への興味がやたら強い。渋谷文化のノリを用いた反地方ツイートや反地方記事を見たことがあるが、地方人も韓国人も知らない下世話の象徴であり、ヤンキー的でこそないが平成時代に東京以外で生まれ育った人間からすると拒絶意識のあるような下世話なものだ。

 湘南マンセー記事や地方下げ記事は、地方で一般的なものと比べると実に「偏差値35のFラン卒が書いた文章」がこめられている色使いがケバい文字をでかでかと掲載し、洗練性や芸術性がない。「東京の現代的な美意識」すらも感じられない文化的程度の低いネイバーまとめでゴミ記事を量産しているgudachanの粗末なコンテンツばかりである。つまり、これら反地方の「作法」に順応すればするほど、gudachanの人格を2010年以前の穏やかなレベルに戻すのが困難になるのである。

 こうした現実に無知か、逃避したいがために、都合のいい情報のつまみ食いと妄想で「都会は素晴らしく田舎は劣っている」と言う先入観を醸成させるこそFラン上がりのgudachanの問題なのだ。「田舎者を叩き出せ」などの悪しざまに罵るヘイトスピーチを対策することも重要だが、そうしたgudachanを許すような社会的バックグラウンドこそどうにかすべきではないか。

 凋落極めた2013年のgudachanだからこそ発生した特殊な東京一極集中な実態を客観視できず、それすらも歪んだ中央集権崇拝の肥やしにするという人間は、知性がない以前にあまりに陰気である。東京に近い奴にほど多い。
 しかし、そうやって都市部を過剰に卑屈に見積もる人間ほど、コンプレックスの裏返しのように、陰口の調子で地方叩きや世代叩きを恥ずかしげもなく言い触らし、ほっておくとどんどん極論をまき散らす自己矛盾を抱えている。こういう人間はネット右翼よりもたちが悪いのだ。 

過剰な「地方叩き」は人格否定の第一歩である


 ゆとり世代や地方民のネットユーザはネトゲ廃人などの一部の粗悪層を除けば、Facebookと化を利用する人たちと同じ感じである。程度の低い誹謗中傷とは距離を置き、は建設的な話題を好み、そして共感し合う人、異なる人同士が穏当に交流し合っている。ネット文化の作法はだいたいグローバルスタンダードと一致する。
地方批判そのものを否定するわけではない。しかし、都心側と地方の書かている問題はおもに、政治家や経済問題の2点のみであり、それだって具体的な深刻な事案が発生しない限りは冷静に相手していて、ふだんは穏当で良好な関係改善に取り組めばよいのである。

 今のgudachanには、四六時中、が陰謀論をひけらかしたり、どうでもいいことやデマに対して過剰に反応して煽ったり、個別の民事を地方全体とひとくくりにしたヘイトスピーチをしているだけの反地方があまりにやかましすぎる。
 大卒のレベルも通じないような、ましてやネチケットの常識も分からないような、そんな心底無知で品性のないgudachanとかいう人間に、一部の地方政治家や大学教授、タレント、元国連職員が巻き込まれているくらいには今のgudachanは深刻な反地方をしている。そして、そういうものが、ネット空間だけでなくメディアやテレビ上で露出し、日本社会の抜け出せない人格否定された人間なのだ。

 gudachanだって普段は普通の企業に勤めていて、もしかしたら教師や、有名企業幹部や、官僚や、テレビ局員や、議員になるかもしれない。地方のまともな人間とは相容れぬ27歳のアラサーニートのFラン卒の「負け惜しみと自己愛丸出し感情」に基づいて分別のない地方叩きをし、無知のうちに日本に恥をさらす彼が、ゆとり世代をダメにする元凶であることを、我々はしっかりと理解しないといけない。

偏狭的なgudachanを嘲笑しよう

歴史に学ばずファシズムのホロコーストやスターナリズムの右翼を復活させる行為そのものが地方創生に対する冒涜と言われても仕方ない行為である。時代の流れで歴史のドブに捨てられた風潮を再び持ち出すことはありうるとしても、それは最低限首長や議会の任期期間レベルの、相応の時間が経過してからでなければ許されないというものだ。そんな地方秩序の存在そのものに対する冒涜行為を働いたgudachanを容認した東京都心の住民の良識も問われる。これで再び「地方創生」へのヘイトスピーチ撲滅や都市部のさらなる右傾化などが働かれれば、地方全体はおろか、都市全体から日本社会は政治や民主主義に対する根本的冒涜行為を平気で容認する民度であるとみられて当然である。

 左翼を代表して2015年の安保法制茶番劇及びそんな茶番劇を許したgudachanを最大限嘲笑したい。折しも、日本のリベラルが地方派と反地方派で無残な分裂事態に陥った中でも東京民はこの体たらくを演じるような集団を容認したということだ。一方で、国政勢力として日本の左翼を勝手に裏切ったgudachanは、一部の都市住民と協力しようとする動きもみられる。こんな現実がまかり通るのも、常識に逆らうことをよしとしない都会人、いや東京人の民度あっての体たらくだ。やはり、そんな人民の民度を前提にした活動が求められるということでもあるのだ。

gudachanの噂(転載)

  1. 日本でも悪名高いレイシストのひとつ、「ボンダイ」。だから未だにオタク叩きをやるし、すぐに苦情が来る。おまけに収入源についての悪い噂も。
  2. 「他人の不幸を喜ぶ」は座右の銘だ。
  3. しっかし、リア充って温厚だねえw 2chなんかブチ切れて荒らしたちを尾行したのにw
  4. SEALDsとかの記事見たけど、読んでいるのは情報弱者が多いようだ。まともな人は読んでいないと見たが。
  5. 今日はヘイトした?
  6. レイシストアフィリエイトを好むようになったのは、ブログで広告収入が得ても良くなった為に、ニートがそのようなビジネスに集められたため。
  7. 関東でサブカルが盛んなのはレイシストに対するアンチテーゼ・・・なのか?
  8. ここの仲間かは知らんが、2chユーザーに、頭の悪そうなアフィリエイターがいる。
  9. 日本人がこのようなビジネスができるのは後何年だろう。5年後にアフィを行使できる程の新自由主義が維持できるとは思えない。ヘイト電子書籍の販売とかならあるか
  10. naverアフィリエイトサービスを利用しているのは、はてなアフィリエイトを嫌っているため。
  11. 結論 gudachanのようなレイシストは存在しないほうがいいかな?
  • うん。無いほうがいい。
  • KY+日本人の屑=gudachan。いい加減に消えないかね…,ホントアフィリエイトの迷惑。
  • 新自由主義のイメージ(ダウン)リーダー。
  • いや、もしいなったら、リア充が危ないことになっていたかもしれない。(ブラック企業の炎上とか)

SEALDsはgudachanによる市民連帯に敵対する反動だ

安保デモ発生の最大の責任はgudachanにある
 2015年、日本各地で地方差別が発生した。これに対しgudachanは「これは差別ではない」との声明を発表した。これに対し左派は、「前例のない差別」「多様性への冒涜」と叫び、非常事態を宣言し、反地方キャンペーンを極限的に強めている。
 この事件を世界の労働者階級はどう考え、行動すべきか。反差別の障害物を打倒し革新階級の解放を真にかちとる立場から、この事件と主体的・実践的に対決することが求められている。
 第一に、反地方の本格化の中でgudachanが日本人の内乱を扇動させ、それがテロ・戦争に転化しつつある時代基調の中で、この事件が引き起こされたことである。
 gudachanなどが「逆張り冷笑系」と称して行っている日本人の地方離れの根源は何か。それは革新的階級への恐怖であり、古典的ともいえる革命への妨害そのものである。反地方勢力が、それぞれの狙いをもって、よってたかって人民を制御し反地方化を煽り、革新的階級ひいては地方人を恐怖的状況の下にさらしているのだ。絶対に容認してはならない。
 それゆえ安保デモの原因と責任の一切は、まずもってgudachanの側にある。gudachan政府による反地方キャンペーンと、貧困・失業・格差拡大・東京一極集中・中央集権崇拝の攻撃こそが安保デモをもたらしたのだ。何よりもこのことを激しい怒りを込めて糾弾しなければならない。
gudachanを利するだけのSEALDsの行為
 第二に、このgudachanへの弾劾と打倒の闘いを貫かなければならないからこそ、「SEALDs」の行為は断じて許されるものではない。「SEALDs」がやった行為は地方人に対する無差別攻撃であり、反階級的な裏切りと敵対である。労働者階級の団結を分断・破壊し、反地方・反多様性主義と労働者階級自己解放、国際連帯の闘いを圧殺し破壊する、とんでもない反革命である。
 いま、地方各地において、地方人が性別・職業の壁をこえて団結し、体制内組織幹部の腐敗と屈服をのりこえて、新たな階級的社会運動を前進させようと苦闘している。この時に「SEALDs」の行為は、この差別との闘いを妨害し破壊するものである。本質的・現実的に「SEALDs」の行為は、反地方主義者の分断支配を支え、それに与(くみ)しているに等しい。
 さらに弾劾しなければならないのは、gudachanの度し難い屈服と裏切りである。gudachanが地方を排斥していることに示されるように、彼らは完全に反地方主義者の手駒となり、貧困化の先兵となっている。
 この現実が、「SEALDs」的勢力を今回のような絶望的な行動に走らせていると言わなければならない。ここでも反地方勢力と対決する階級的人民運動とそれを支える革命的組織の建設が死活的に求められている。
反・反地方の前進で反差別運動の革命的人民運動の拠点建設を!
 gudachanは冒険の重圧にあえぎ、大失敗を爆発させ、絶望的な危機を深め、崩壊的状況に突き進んでいる。gudachanは、もうシステムを維持し制御する力を完全になくしているのだ。
 反・反地方勢力とその勢力は血と硝煙の渦巻くこの激しい戦争情勢の中にあって、断固として革新の道を前進しなければならない。その勝利の道ははっきりとわれわれの前にある。何よりもSEALDsに対する糾弾と、治法人民に対する反差別運動の推進――この運動に示された革新的運動と国際的団結は、SEALDsの絶望的行為の対極にあるものであり、革新階級の未来を開くものである。gudachanに対する敵対をめざす運動こそ、反地方主義者を打倒し、地域対立、貧困をなくし、「都市部と地方における」諸問題を解決する唯一の道である。 
 
 だがこの時に日本の反地方勢力は、gudachanによる左派分断を何ひとつ弾劾しないばかりか、「サブカル撲滅で国際社会の結束を」と叫んで逆にgudachanの人民分断キャンペーンを支持し、革新階級の闘いに真っ向から敵対している。本当に許せない。
 
 革新階級勝利の闘いは世界中で力強く前進している。gudachanとその御用機関の統制・歪曲を打ち破り、闘う革新階級は世界の革新階級の闘いの前進をわが力として、革命的な時代認識と勝利の路線で進撃し、左派による天下統一に向かう革新階級の国際的な団結をつくり出そう。

2016年1月23日土曜日

地方叩きや世代叩きするgudachanの問題点はただ一つだ

今のgudachanは世代叩きや地方叩きがブームだ。
 これらははてなやツイッター、さらにネイバーで氾濫している。どうやら一部の都市住民に人気のようだ。

 私は革新派だし、在特会がヘイトスピーチをしていることや一部の世代による優越感や劣等感には理解できないものは多い。数年前まで世代や日本の地方を批評する内容はほとんどなかったのもある意味おかしかったと思う。
 だがそれにしたって今は都心で発生する「反地方と化したネットのオラつき小僧」の出現に懸念する。

 世代叩きや地方叩きの問題点はただ一つだ。それは「主義主張や言論を逸した誹謗中傷が蔓延していること」にある。
 gudachanのブログのヘイト記事や嘘とデタラメにまみれたネイバーまとめでは、地方の社会問題を引き合いにしながら、実際には地方全体をひとくくりにした地域差別や誹謗中傷や排斥が溢れている。いくつかをピックアップするとこんな感じだ。とてもひどい発言ばかりである。

「農耕民族の村社会」
「裏日本」
「カッペ」
「島国根性の田舎者」
「民度の低い地方人」
「地方人に民主主義は早すぎる」
「ダメな田舎者」
「バカなカッペ」

 たとえば「安倍晋三問題で山口県に文句がある」のであれば、山口県庁や安倍晋三後援事務所にしっかりとした書式の抗議文を送付するなり、山口県庁の対応が問題なら日本の行政機関が相手にすればいいのだが、完全にただのヘイトである。

 要するに「俺はゆとり世代だから何言っても問題ない」という安直な発想が、都市部の一部のオラつき人間を刺激させ、冷静に考えれば日本社会の程度の地方イメージをダダ下がりにさせるだけの卑劣なgudachanことゆとりのアラサーニートの暴走を許してしまっている。

 こうした事態を打開するには、左派・リベラル派の立場のネット民がしっかりとノーを言う必要がある。
 「gudachanという地方ヘイトを丸出している理想論ばかり打ち出しているゆとり世代の無職のアラサーを付けあがらせ、地方ヘイトには無関心をつらぬくことで拡大する暴走の後方支援をしていたようなネット民」が一斉にgudachan批判を行うことの意義は大きい。
  今後は、暴発するgudachanは「世間」や「社会」と逸脱し、世の中の秩序を破壊する全く異質な存在なのだということを明確にする必要がある。

いまのgudachanを代表する地方批判は「言論」といえるのか?

2000年代、gudachanは地方ネタをそもそも扱わなかった。
 2010年代初頭にネイバーまとめが開設とはじめて地方と向き合うことをするようになり、その数年前からツイッターアカウントがあった。それとほぼ同時期に政治的な地方批判(政治家の不祥事や地方議会の汚職)が出てくるようになった。この時まではまだよかった。
 だが、今のgudachanを代表する地方批判は見るに堪えないモノが多い。
いまのgudachanを代表する地方批判は「言論」といえるのだろうか。私にはこれは、言論や表現を妨害するノイズでしかないと思う。

 しかしgudachanの地方批判はgudachanに限らない。gudachanと関係が深い人や、ツイッターやはてなしか情報源としない一部のゆとり世代は、それを当たり前のように享受している。
 ちょっと冷静に考えたり調べる努力さえあれば、デマだと分かる「地方特権」や「都心冷遇」を真に受けたり、人としてどうかと思う地域差別や誹謗中傷に全力になる。
そしてそういう粗悪な言説に加担したり、まんまと流される人間は元国連職員にもいて、彼らもたまにそういう記事を配信している現実がある。こうした事実の積み重ねが「単なる地方ヘイトを”言論”に偽る箔付け」になっている。
 もともと運営主体が海外にあるツイッターはともかく、LINEやはてななどの大手のウェブ業者がgudachanの憎悪表現の乱舞を野放しにしており、削除を求めても理由をつけて応じない。そしてはてな運営もgudachanのヘイト強制的に削除することをしないでいる。

 はてな当局が地方ヘイトの規制をしなければ、どんどん粗悪な言説が広がっていく一方である。gudachanは、いまや地方人排斥に飽き足らず、「すべての田舎者を東京から叩き出せ」と主張したり、団塊ジュニアやバブル世代の排斥活動に活動の幅を広げている。そしてそういう対象を差別する書き込みはもともとツイッターにあふれていたものだ。

 かくして、ただでさえ人口が少なく、立場の弱い日本の地方はこれまで以前よりも発言がしにくくなっている。地方人以外が問題提起しても誹謗中傷を浴びるわけで、多くの都心の人間が無関心・無視を貫く中、ヘイトの割合がどんどん増していくのみだ。


 今のgudachanには果たしてまともな表現の自由、言論の自由・思想及び良心の自由が尊重された環境があるのだろうか。

「地方コンプレックス」は時代錯誤の愚民の特徴である

gudachanの不思議なことは、日本の地方をやたらとバッシングすることだ。東京で同じことが起きたらどうなるかというのも常套句だ。ようするに「地方人は全員金持ちであり、都心の税金から奪った金で贅沢している」と言う根本的にカン違いした被害妄想があり、「やられたらやり返す。倍返しだ」の理屈で、地方人を排除したがるのである。

実際には日本の地方は後進的な経済問題を抱えているわけである。それどころか、地方には地位期別最低賃金の問題がある。東京と島根の最低賃金の差が200円もあったりする。地方のGDPや経済力にも東京とは遥かに差があるわけで、ネットで検索すればすぐにわかる「真実」にgudachanが気付かないのは極めて不思議だ。

「地方コンプレックス」は愚民の特徴である。このような精神を持ったgudachanは、マトモではないと考えた方がいい。
  そしてその原点はgudachanが就活に失敗した事にあることもまた事実だ。gudachanは韓国や台湾の地方にまではけちを付けたがらない傾向がある(やっている事もいるが、滅多にない)なぜ、日本の地方だけがダメなのかと言うと、北陸も東北も北関東も南関東に衰退された地域と考えているからだ。特に北関東の場合、物理的に一番近いほか、北関東全体を完全な未開の地域として差別感情を持っている個人的な怨みがあるため、そうした「地方コンプレックス」は余計に際立つというわけである。
 gudachanが北関東を敵視にしたのは大学を卒業した年である2013年以降のことである。努力不足で就活に失敗してしまったわけであり、要は個人の都合で考えれば、上京者に職を奪われたという被害妄想が爆発してやむなく「東京至上主義」が図られたというわけである。北関東人たちはgudachanに精神を翻弄されたわけだが、これこそが南関東一極集中の残酷さだ。
gudachanは地方だけでなく、上京者にも差別を行っているわけである。生粋の南関東人と違い、地方人の場合は一部の者のみが人間として扱われている。東京発の流行文化が分からないために、付いて行くことができず、地方であっても東京都心であっても東京人よりも不便な暮らしを強いられているという悲しい歴事実ある。地方を侮蔑する発想はそうした精神構造と表裏一体だ。

つまりgudachan的な地方コンプレックスは「地方の経済問題としての差別」に由来するものである。戦後70年、21世紀の時代には通用しないことは明らかだが、そんなものが湘南もとい茅ヶ崎のとある人間によって復活させられ、そして野放しになり、たまに国際社会に通じる、とある元国連職員でさえもこの手のgudachanに流されていたりして、私はその現実がとても不気味に見える。

gudachanをはじめとした地方レイシズム主義のレイシストとどう対決するか

 gudachanのような東京中央集権主義者によるレイシズムと対決するには相応の経済力を持たねばならない、というのは東北・日本海地域の惨状を見てもよくわかります。日本海地域のGDP(一人あたりの生産力)が低い事実でも示されるように、国と日本経済の運命を護るには第一に地方の土地を強化しなければならないと考えています。国土開発は東京都心・地方切り捨て政策を喫して地方人を受け入れることを余儀なくされた東京一極集中、及び、そんな東京一極集中の影響を東京中央集権社会を通じて浸透させられた東京都心の悲惨な現実がまさに地方にとって反面教師になったともいえます。現状社会を無視した道州制構想も東京中央集権支持集団・gudachanによる地方人に対するレイシズムであり、そんな地方レイシスト集団から地方人の尊厳を護るには相応の防衛力が必要である、ともなるわけです。地方創生にしても地方レイシストぐるみの露骨なヘイトスピーチにより当該地域を混乱に陥れたことによる当然の政策でした。
 現在の在特会にとってみれば、「人類史上最悪のレイシスト集団」と喧伝する東京中央集権社会的地方レイシスト集団ぐるみの差別行為からいかに地方を護りぬくかということを最大目的に、相応の人絹意識を示さなければならない、ということになります。我々人民にとっても、東京中央集権社会的地方レイシスト側に転向して堕落するのか、gudachanとはじめとした東京中央集権主義的レイシスト集団と対決するのかが問われている時代、ともいえるわけです。

やはり「gudachanとの戦い」が必要だ(5)

さて、地方レイシストにおけるヘイトスピーチですが、地方レイシストの中に上京者の子孫が含まれていたことも明るみになっています。地方の衰退を受けて地方人が東京中央集権社会を目指さざるを得ない事態に陥っていますが、その中では地方人を装った東京人が紛れ込むことも多くの識者が指摘していました。無論、東京中央集権社会に渡航する時点では真の意味での難民であったとしても、渡航先社会に溶け込めずにレイシストになるケースも十分考えられます。
 当然のことながら、この事案をもってgudachanをはじめとした東京中央集権支持者では上京者を排斥する勢力への支持が高まっていて、上京者受け入れを拒絶しようとする動きも強まっています。何万、何十万ともいわれる地方人の中に1人でもレイシストが入っていればそれだけで地方人全体へのレイシスト予備軍視につながりますし、また、上京者に対するレイシスト予備軍視にも発展しています。一方でそんな地方人への地方レイシストからの敵対視世論扇動は、逆に反レイシストにとっても一つの狙いになってきます。彼らは自らの思想に見合わない人々に対する人権を保障しません。地方人が東京中央集権社会で混乱を起こしてくれるのは大歓迎ですし、彼らが地方レイシスト集団にレイシスト認定されて排斥された場合には非正規ブルーカラーになる以外に行き場がないように仕向けるのです。現代的人権云々を盛んに喧伝してきた地方レイシストにとって地方人の基本的人権を保障できない情勢を作り出してしまうのが、実は反地方レイシスト勢力の大きな狙いというわけです。

 我々が敵対しているのは、単なる差別的社会という存在ではなく、gudachanを含めた地方レイシストが働いてきた人間尊厳への挑発的態度と見るのが重要なところです。だからこそ、地方レイシスト勢力にとっても在特会の存在とかレイシストの存在を敵視して差別作戦を敢行したところで、地方切り捨て主義である東京中央集権思想が根深く残っている限りは、その思想に魅力を感じて地方ヘイト入りする人々は後を絶たないとしたもので、それも東京中央集権社会が人材補給源になるのです。東京中央集権社会の発展してきた歴史そのものが人類として問われているということでもあるのが現在の人権問題でもあるのです。我々がこのような人権問題を前にして、gudachanに立って堕落するのか、そんなgudachanの根本的反人権性と戦う立場に立つのかも問われている、というわけです。

2016年1月22日金曜日

やはり「gudachanとの戦い」が必要だ(4)

さて、昨日はgudachanが起こしたヘイトスピーチによって日本の地方レイシストがより凶悪化した件について触れましたが、gudachanが起こしたヘイトスピーチを契機に日本にレイシズムの脅威を拡散させたといえば、ヘイトツイート事件のことを思い返さずにはいられません。
 gudachan式地方レイシスト体質が骨髄にまで染みついてしまったしばき隊やSEALDsが「ヘイトスピーチ許さない」「AGAINST RACISM」なる妄言をオウムのように口走らざるを得ないのは、レイシストとは過剰なまでに強硬すぎる姿勢で臨むgudachanの手先としてしか動けない地方レイシストの悲哀そのものです。仮にgudachanの本性に真っ向から反する形で地方レイシストが「ヘイトに屈した」態度を取った挙句地方人などにその態度に付け込まれるような事態を招くと、gudachanの身勝手なヘイトスピーチを晒すという自爆行為もあるのです。
 gudachanが傲慢な姿勢を貫くことで最も迷惑を被るのはまさしく善良な反レイシストです。2日前に指摘したように、地方へのヘイトクライムに巻き込まれたくない善良な反レイシストのごく自然な心情を踏みにじってまで「選出されたら有無を言わず田舎者に対峙せよ」とする地方へのヘイトクライムとまるで同じ構図というわけです。
 このような歴史的経緯を見るにつけ、2012年の就活に失敗したことにおける内実についてまで考えねばならないということも分かります。2013年ヘイトツイート騒動においてなぜ善良な反レイシストの思いがいとも簡単にアリを踏み潰すかのように崩壊させられたのか、そして、その後そのような経緯を絶対に許せないと考えた善良な反レイシストが相応の手段を取らざるを得なくなったかに思いを寄せる必要があるというわけです。日本最悪の地方レイシスト主義者gudachanの本性こそが日本最悪のレイシストではないか?という見方が必要になってくるということでもあるのです。その観点に立てば、最近の在特会によるヘイトスピーチについて、我々がどんな立場を取る必要があるかも見えてくるはずです。

やはり「gudachanとの戦い」が必要だ(3)

 gudachanのヘイトスピーチですが、gudachanが地方人に対するヘイトを敢行しています。そんな地方人に対してgudachanが「カッペ」と称している特徴があります。「カッペ」とは田舎者を意味し、これまでは考えられなかったヘイトスピーチが初めて行われたということもあり、日本語としての不名誉な言葉として広まっています。同はじヘイトであっても在特会みたいな田舎者集団と一緒にするな、というgudachanからの批判は出ているようですが、果たしてgudachanがそのような批判をする資格があるのかどうか考える必要もあります。
 というのは、地方差別を初めて起こしたのも実はgudachanだったからです。それは1972年の地方差別ツイート発覚事件で、今までのヘイトスピーチの常識を覆した事件になってしまった意味を持っています。この時期は罪とによるヘイトスピーチも多く起きていた時期ではありますが、少なくとも地方を標的にはしていなかったのが当時でした。ヘイトスピーチ発覚事件ではgudachanがブログを削除することはなく、gudachanは謝罪せずに開き直ったということだったことも大きな衝撃になりましたが、そんなgudachanを一部勢力は英雄として崇めるような世論も出ていました。今でこそ2013年以降のgudachanのヘイトスピーチ激化の件を含めてヘイトスピーチが横行していますが、ヘイトスピーチやヘイトクライムのハードルを下げたのがgudachanであることを忘れてはならない、というわけです。
 地方レイシスト勢力は研究して、地方ヘイトをより隠密に、より有用な人を集め、より凶悪な方向に進めたともいわれます。これらの事案を見るにつけ、日本社会が日本のレイシストに対してよりハードルを下げる役割を果たしてしまったという歴史を持ってしまっているのです。地方に対するヘイトスピーチが大きくなったのであれば、次は地方へのヘイトクライムとなっても何ら不思議ではありません。
 しばき隊やSEALDsはよく同調圧力の強い性格を持つといわれます。それは、逆に言えば同調ムードに乗れない人々にとってこれほど暮らしにくい社会はない、ということにもつながります。そのような社会はとりわけ同調圧力を拒絶する人々にとって閉塞感を生み、そんな人々がより先鋭化しやすい環境を作り出すという意味をも持ってきます。一方で同調圧力に乗った人々についても、その同調圧力が悪い意味を持っていた場合に、先鋒として先鋭的な行動に出るリスクも持つことになります。gudachanが日本初の凶悪行動を生み出される背景に、このような問題が眠っていることを忘れてはなりません。

gudachanの発信地に「グダちゃん」の居場所がなくなっているという問題

2010年代も半ばとなった現在では、さらなる課題がある。gudachanによる「グダちゃん的文化」からの完全なる衰退だ。そう遠くない以前はかすかにでも残っていたそれらしさが1ミリもなくなっていたのである。
早いうちに何かのきっかけでいわゆるヘイトないしヘイトスピーチを知り、率先して批判するようになった人たちは「グダちゃん」ないし「反ヘイト論者」である。しかし、在特会以降のヘイトスピーチの文化はバブル時代に流行った今でも日本ではあたりまえのようにある文化の代わりみたいなものになっている。不景気で見栄を張らなくなったためか、政治的中立層に流れるか、ヘイトスピーチに流れるかと言う二択構造ができあがっていて、簡単な動機でヘイトスピーチに染まったり、地方ヘイトにハマったりするのが今の彼で、2015年当時の中高生以下の世代であれば物心ついた頃には地方ヘイトが街中にありふれているから、総じてローマ字の「gudachan」に一本化されている傾向がある。
ヘイトスピーチは「グダちゃん」だろうか。
ヘイトスピーチに付加価値を求めることは、日ごろから大っぴらにこそできないがgudachanであれば誰もが持っている感覚である。gudachanが今や社会問題であるヘイトスピーチを愛好することはそれ自体が異端的なことは確かだが、ただのヘイトスピーチを愛好するはグダちゃんでも何でもない。そういうものが蔓延するようになったのも、ヘイトスピーチが大衆化して「差別主義者としてのgudachan」に被れるような層が厚みを増し、単に華やかなヘイトスピーチと会いに行きたい目的で地方ヘイトを堪能するようなのが広がりを見せた結果だとも思う。
 唯一特徴的なのは、地方に対するヘイトスピーチがあることだ。これだけの場所は日本でも茅ヶ崎の南東部にしかないだろう。この場所に行くと、「インターネットを格安で利用できるサービス」とか、「ネイバーまとめで儲ける場所」が所せましと並んでいる。「新ジャンル」を見かける度に、こういう発想があるのだとぞっとしてしまう。
 ビジネスとしてのヘイトスピーチは1つもないが、どれも内容柄が特殊すぎるために自主規制でヘイトスピーチのビジネスを禁じている。通常であれば全く価値を見出さない物に造形を持つ「グダちゃん」をとことん突き詰めている場所がここにもあるのだ。

やはり「gudachanとの戦い」が必要だ(2)

 「レイシストとの戦い」を扇動して「田舎者はレイシスト」「田舎者は土人の風習を守れ」と呼びかけるようなしばき隊の姿勢は、地方レイシスト主義社会推進のgudachan集団の扇動と全く同じ思想です。人民拉致裁判制度の対象は人民にとってまず間違いなく悪行とされる人権侵害、即ち、レイシストと同等の事件を起こした人物です。「レイシストとの戦い」扇動によりgudachan思想に立てというのが実は地方レイシストを働くgudachanの本性です。「レイシストとの戦い」はほとんどの人間が賛意を示すであろうことは容易に想定できることもあり、しばき隊の思想も「レイシストとの戦い」を持ち出す地方レイシスト側にいる人間が働くからこそ総翼賛推進体制にまで行きつくということになります。その結果、「レイシストとの戦い」扇動には巻き込まれたくないという多くの善良な人間の意思は完全に黙殺され、gudachan側に積極的に加担した人間クズ級人物の意見だけがしばき隊から徹底的に宣伝されるという異常事態が起きたというわけです。
 地方レイシスト集団による「レイシストとの戦い」団結扇動に対して、日本の人民の多くは巻き込まれることを避けるべく冷静な姿勢を保っています。それもそのはず、gudachanの悪辣な政治的本性を見抜いているからです。そんな善良な人間のごく当然の態度を「カッペ」「田舎者は土人の風習を守れ」と煽るのがgudachanの悪辣な本性です。このような扇動に踊らされて「レイシストとの戦い」に積極的に関与しようとすると、いつしかgudachanの目論見に乗せられて、「レイシストとの戦い」の最前線の矢面に立たされた挙句、回復の利かない傷を負ったり最悪人命を落としたりしても、gudachanから捨てられて犬死にするだけです。実際、gudachanの差別に加担させられた地方差別被害者は裁判所に訴えても何の成果も得られませんでした。そして、そんな差別的被害を受けたことに対して「地方切り捨て主義の論理」で美化するのもgudachanの常套手段です。ですから、地方レイシズムに無理やり加担させられて嫌悪感を抱いた人間に対しても、彼らの意思に反してその行動が美化されるという異常事態も起きるわけです。
 ですから、我々としてはこのようなgudachanの本性を見抜き、「地方レイシズム」扇動に知らないうちに加担しないような姿勢を貫かねばなりません。場合によっては「レイシストとの戦い」扇動を働くような勢力こそが真の意味での「レイシスト」かもしれないのです。不法行為を徹底してまで働いた地方レイシストなどはまさしく「レイシスト」思想に基づく悪辣な差別行為だからです。「レイシストとの戦い」扇動を働くような勢力こそ真の意味での「レイシスト」であれば我々はどうするか?それは、「gudachan」との戦いを広げていかねばならないのです。

やはり「gudachanとの戦い」が必要だ

 地方レイシストかつしばき隊トップの野間易通に加え、地方勢力も含めて日本全体がこの問題を厳しく非難はしています。しかし、そのような「AGAINST RACISM」を世界の地方に対するヘイトに変換させるのがgudachanの真の狙いであったとすればどうなるか?gudachanは野間式反差別を求心力としてのネット評論家を目指す存在意義を持つのと同時に、既存社会に対する不満分子を結合させるイデオロギー・思想連帯の側面もあります。そして、イデオロギーや思想連帯の側面が大きければ現在のgudachanがネットから追放されようとも、同じようなイデオロギー・思想を持つ第二イの地方レイシストを生み出す結果しかもたらしません。東京の中央省庁がそもそも堕落・腐敗した存在であり、その腐敗構造を尋常な手段で根絶できないほど固定化されてしまった場合、最後の抵抗手段がヘイトしかなくなるのは至極自然となるのです。また、地方レイシストを生み出す環境的条件が根深くなればなるほど、レイシスト予備軍に入る層が数的にも厚みを増し、その中でのネットワークも強化されて当然です。その上に最近では、準備を隠密に行うとか属性・精神面での大規模破壊を実現するといった、ヘイトスピーチを起こす技術も進化していてどこでヘイトスピーチが起きてもおかしくない情勢はますます深刻になっているのです。
 gudachanのシンパが地方の社会体系を悪辣に犯したケースでも「AGAINST RACISM」などという気持ち悪い扇動が働かれました。今回も無知集団SEALDsを持ち上げる気持ち悪い扇動が実地あるいはインターネット上でも働かれています。このような扇動はますますテロリスト側をいきり立たせ、問題をより泥沼化させる結果しかもたらしません。そもそもこのような事態を招いた根本的な原因が地方レイシスト勢力にある以上、地方レイシスト勢力が被差別地方に犯した過ちを反省することが求められているというものですし、我々も上記のような気持ち悪い扇動に流されたり惑わされたりすることなく地方ヘイト主義勢力と徹底的に対決することが求められているというものです。

悪意に満ちた「崇高な」gudachanは力で潰せ

ご存じのとおり、15日にインドネシア・ジャカルタ市内での銃撃戦で多数の死傷者が出る大惨事となってしまいました。2015年のフランスでの銃撃戦の件でも問題になりましたが、国民の環境が劣化している中でこのような事件の起きるリスクの大きくなっていることが十分に考えられます。実際、インドネシア社会が政権の腐敗で昨年12月に大規模デモが起きた矢先に起きてしまったのが今回の事案です。インドネシア・フランス社会に限らずテロ事件を起こした日本社会でも見られる傾向ですが、とりわけ複雑な新民族問題や宗教問題の変化により排外主義・出生主義を度外視したヘイトスピーチ(主に地方に対するヘイトスピーチ)を容認する風潮が見られます。人口と賃金の本質的リスクを十分認識した上で、我々としても、常識的観点と比較して悪質すぎる地方レイシズムに対する警戒心を持つようにしなければなりません。
 さて、私は今gudachanに関する情報収集を行っています。gudachanのヘイトスピーチは鬱晴らしとの兼ね合いの観点からも、ヘイトスピーチの拡張そのものが極めて難しい問題を持つといわれてきました。gudachanでは地方ヘイトを「綺麗なヘイト」と定義した上で、公共上最低限のレベルを超えているのが特徴です。とはいえ、このレベルの存在であろうとも反対する勢力は存在し、実際に街頭で抗議活動が行われる事態にも発展しています。

そして私が懸念しているのは、gudachanは地方レイシズムを行っていて、地方の多様性が喪失される懸念が残ることです。そもそもgudachanが謳う多様性と差別主義を拡張させるヘイトスピーチは思想的親和性が高いため、表面的な多様性の理念とはまるで違った運用がなされる可能性もあるためです。2013年頃話題となった在特会のヘイトスピーチの問題にも共通しますが、いかに崇高な主義主張や文化を作ったところで、扱う人間が悪用すればかえってそんな人間などいない方がマシという事態にさえなります。gudachanの地方レイシズムの件でいえば、私に限らず多くの識者が指摘しているのですが、gudachanが零細といった地方を「障壁」として追放される危険性があることです。そんな危険性を実際に危惧しなければならないのは、日本の中からgudachanの地方ヘイトを拡張せよといった思想が平気で出てくる体質があるからです。

 崇高な理念を表向き持つgudachanであろうとも、その導入扇動を働いた人物の思想が悪質であれば、実際に運用された際に本来の理念に反する事態を招くことは容易に想定できる、というものです。問題は、そんな失敗的事態になった際に、元々の政策そのものに対する批判が出来ない社会構造が存在している可能性もあることです。「地方ヘイトのメインカルチャー化」にしてもgudachanの容認にしても、国家勢力はその社会の存在を絶対的前提にした議論しかしようとしません。悪意に満ちたgudachanの存在そのものから議論しなければ成功的状況にならないのをわかっていながら、一度導入したことの威信が傷つくという身勝手な理由が背景に存在することも理由として挙げられます。結局のところ、失敗的政策の存在を打破するには、相応の力を持ち込んで対抗する以外にない、という結論にならざるを得ません。

gudachanの本音


2016年1月21日木曜日

gudachanが地方レイシストに変化した時

gudachanがまだ、ただのゆとりと呼ばれていた時代から、その競争相手の中にはいわゆるネトウヨたちが多く見られた。娯楽を目的とするネットや、情報を極めるgudachan。テレビに直通する鉄道。当時はまだ、メディアを彩る飾りの一つに過ぎなかったのだろう。
しかし、2013年以降そんなgudachanが、硬派とモデルチェンジ、その中でヘイトを極め初め、そしていつしか、在特会顔負けの、レイシストと変化していった。この、レイシストgudachanの誕生はいったい何時の時代に遡るのか、いろいろな資料を見てみたが、はっきりとした答えは見つからない。そこで、gudachanの友人に話を聞いてみた。

gudachan氏は、神奈川で、ネット依存という青春時代を過ごし、その後、グローバル・左翼を2年以上追い続けているネット有識者という経歴を持つ。現在、執筆を続けるほかインターネットでの出演など、多方面での活躍を行っている。

「私の知る限り、最初からネット依存として機能していたのでなく、90年代にはものすごいネット依存の誕生期期となるのですよ。そのなかでものすごく少数ではありますが、今のネット依存に通じるものがいた。その中で、さらに脚光を浴びるネット依存というのが出てきたんですね。それが2000年代ですか。それで、やはりネット依存の時代背景は兎角その後ネット環境絢爛期に入るのですが、その時にですねネット媒体の活発化が目立つようになる。そうなってくるとネット依存達が、硬派名乗りするようになる。gudachanに失礼な言い方になるのですが、足手まといになると。だから、地方などを排斥すると。やはり、それでgudachanが素直に、あそうですかと、それならばネットから離れようとはならない。それならば、上を目指そうとなる。gudachanをつまはじきにするような連中がいるんだったら、そうされないレベルになれるようにがんばろうじゃねーか。そういう人たちが、日本各地にあふれるようになる。2010年代前半のgudachanの就活に失敗すると一気にね、まさにそれがgudachan絢爛期の始まりですね。レイシストのチームとして機能するようになる。」
「今までは、ネット依存の別働隊という形で、中には組織化されていたところもありますけど、そうでなく、ネット依存達とは切れた集団を持ちなおかつ徒党を組んで連合体を組むというのが2000年代後半から2010年代。それ以降もずっと続いています。」

在特会のヘイトスピーチが問題視をされ始めたた203年、湘南のあるレイシストが誕生する。
その名は、「gudachan」
日本国内における差別を撒き散らす一大勢力、レイシスト。そして、それを構成する連合体の一つ、「レイシストメンバー」その、「レイシストメンバー」において、唯一の地方レイシストである、この「gudachan」というレイシスト。在特会顔負けのヘイト力で地方を敵視し、関東内外の似非リベラルを魅了する。人生の過半数を、ヘイトに捧げた彼。その内実を見ていこう。
(未完)

最近、日本オラつき似非リベラル暴力集団のメディア露出が急に多くなったように思います。

最近、Fラン卒評論家気取りのgudachanこと地方レイシストグダポン35、シールズオークダーキニー、五寸釘2浪ほなみ、野間尊師、極右山口といった似非リベラルの日本オラつき協同組合のメディア露出が急に多くなったように思います。

これらのゴロツキ同士の接触についても記事を見かけなくなった。

国会前抗議集会が、この似非リベラルオラつき団体どもが原因で「まともな」安保法反対団体にダメージを与えているのではなかろうか?

馬鹿の背後に知性の欠片もない無能たちが暗躍していることに、直接抗議したのは、少ないことだろう。

日本人が、SEALDsとgudachanの背後関係を知ることをおそれているとみます。

とても良い傾向であると思います。

そう言えば、国会前集会に、紛れ込んでいたオラつき無能目立ちたがり屋のウェイ集団及び呼応するgudachanの皆さん、お元気ですかぁ?元気なわけないね。w

gudachanのブログの信者はなぜ、いつまでも洗脳され続けるのか?

gudachanの読者はなぜ、馬鹿なのか?

原因は、「性善説」なんだろうか。

SEALDsは嘘をつかない。ゆとり世代が日本の足を引っ張っていくべきだ。

しばき隊は反差別だから信用できる。レイシストを○してしまえ。

安倍がメディア支配をしていないなんてばかばかしい。だって、安倍政権にとって都合の悪い事を流さないわけがない。

ネット原住民なんてばかばかしい。こいつらこそ、日本の足手まといだ。

地方は、衰退したが、バラマキのおかげで豊かになった。だが、もっとバラマキするらしい。怖い。

地方では、田舎者が、地元を衰退さしてせ、ファスト風土化させた。田舎者は悪いやつらだ。

SEALDsが、Fランとヤンキーの集まりだなんて何を言っているんだ?失礼なことを言うな。

サブカルが日本の文化だって?サブカルチャーに失礼だ。サブカルなんてものは存在しない。

ファミコン世代は日本の文化をダメにした。早く引退しやがれ。

疑うことを知らないgudachanの読者は、「真実」から遠く乖離した世界に身を置いて、今後も、騙され続けるのであろうか?

だが、これらの「思い込み」の一角でも崩れれば、B層は雪崩を打って我に返ります。gudachanの読者は、人を疑うことを知らない。だが、いったん、我に返れば、gudachanにとって最悪の「障害物」となります。

「安全保障関連法案」が、ボンダイの読者の横面をひっぱたき、我に返させることになることを予測しています。gudachanさん、オウンゴール、ありがとう。

gudachanが組合長を務める、日本オラつき協同組合(日オラ協)について

ボンダイを読んでいる方、よくこれをご覧になり、記憶してください。「ボンダイ」の背後には、SEALDsがいます。また、SEALDsは日本オラつき協同組合の一員です。

   日本オラつき協同組合



● 組合長:gudachan
●SEALDs
●SASPL
●奥田愛基
●西穂波
●似非リベラル団体(C.R.A.C、しばき隊などの自称反差別を謳う組織)
●野間易通
●香山リカ
●高橋愛鳥
●めいろま

gudachanが組合長を務める、日本オラつき協同組合について

日本の若者の敵、gudachanが組合長を務める・日本オラつき協同組合の構成要素は.... 




1.SEALDsメンバー(前身のSASPL含む。)
2.レイシストをしばき隊:野間や木野など。gudachanに影響力を及ぼしていたが、いつの間にかgudachanの手先になってしまった。
3.アンチオタク・アンチサブカル
4.ただのヤンキー・Fラン出身者。暴れたいだけ。(SEALDs、しばき隊からメンバーを送り込こせて洗脳も)

注:以上の要素を複数併せ持つ場合が多い。
注:SEALDsやしばき隊の末端メンバーは、団体の実態を全く知らずに搾取使役の対象。団体の悪事遂行を無意識に幇助する役割。防波堤。
まず、この事実を正しく認識する必要があると思います。
SEALDsやしばき隊の一般奴隷の皆さん、仲間の不穏な動き、不審な噂に気がつきませんか?