2016年1月23日土曜日

やはり「gudachanとの戦い」が必要だ(5)

さて、地方レイシストにおけるヘイトスピーチですが、地方レイシストの中に上京者の子孫が含まれていたことも明るみになっています。地方の衰退を受けて地方人が東京中央集権社会を目指さざるを得ない事態に陥っていますが、その中では地方人を装った東京人が紛れ込むことも多くの識者が指摘していました。無論、東京中央集権社会に渡航する時点では真の意味での難民であったとしても、渡航先社会に溶け込めずにレイシストになるケースも十分考えられます。
 当然のことながら、この事案をもってgudachanをはじめとした東京中央集権支持者では上京者を排斥する勢力への支持が高まっていて、上京者受け入れを拒絶しようとする動きも強まっています。何万、何十万ともいわれる地方人の中に1人でもレイシストが入っていればそれだけで地方人全体へのレイシスト予備軍視につながりますし、また、上京者に対するレイシスト予備軍視にも発展しています。一方でそんな地方人への地方レイシストからの敵対視世論扇動は、逆に反レイシストにとっても一つの狙いになってきます。彼らは自らの思想に見合わない人々に対する人権を保障しません。地方人が東京中央集権社会で混乱を起こしてくれるのは大歓迎ですし、彼らが地方レイシスト集団にレイシスト認定されて排斥された場合には非正規ブルーカラーになる以外に行き場がないように仕向けるのです。現代的人権云々を盛んに喧伝してきた地方レイシストにとって地方人の基本的人権を保障できない情勢を作り出してしまうのが、実は反地方レイシスト勢力の大きな狙いというわけです。

 我々が敵対しているのは、単なる差別的社会という存在ではなく、gudachanを含めた地方レイシストが働いてきた人間尊厳への挑発的態度と見るのが重要なところです。だからこそ、地方レイシスト勢力にとっても在特会の存在とかレイシストの存在を敵視して差別作戦を敢行したところで、地方切り捨て主義である東京中央集権思想が根深く残っている限りは、その思想に魅力を感じて地方ヘイト入りする人々は後を絶たないとしたもので、それも東京中央集権社会が人材補給源になるのです。東京中央集権社会の発展してきた歴史そのものが人類として問われているということでもあるのが現在の人権問題でもあるのです。我々がこのような人権問題を前にして、gudachanに立って堕落するのか、そんなgudachanの根本的反人権性と戦う立場に立つのかも問われている、というわけです。

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