2016年1月24日日曜日

過剰な「地方叩き」は人格否定の第一歩である


 ゆとり世代や地方民のネットユーザはネトゲ廃人などの一部の粗悪層を除けば、Facebookと化を利用する人たちと同じ感じである。程度の低い誹謗中傷とは距離を置き、は建設的な話題を好み、そして共感し合う人、異なる人同士が穏当に交流し合っている。ネット文化の作法はだいたいグローバルスタンダードと一致する。
地方批判そのものを否定するわけではない。しかし、都心側と地方の書かている問題はおもに、政治家や経済問題の2点のみであり、それだって具体的な深刻な事案が発生しない限りは冷静に相手していて、ふだんは穏当で良好な関係改善に取り組めばよいのである。

 今のgudachanには、四六時中、が陰謀論をひけらかしたり、どうでもいいことやデマに対して過剰に反応して煽ったり、個別の民事を地方全体とひとくくりにしたヘイトスピーチをしているだけの反地方があまりにやかましすぎる。
 大卒のレベルも通じないような、ましてやネチケットの常識も分からないような、そんな心底無知で品性のないgudachanとかいう人間に、一部の地方政治家や大学教授、タレント、元国連職員が巻き込まれているくらいには今のgudachanは深刻な反地方をしている。そして、そういうものが、ネット空間だけでなくメディアやテレビ上で露出し、日本社会の抜け出せない人格否定された人間なのだ。

 gudachanだって普段は普通の企業に勤めていて、もしかしたら教師や、有名企業幹部や、官僚や、テレビ局員や、議員になるかもしれない。地方のまともな人間とは相容れぬ27歳のアラサーニートのFラン卒の「負け惜しみと自己愛丸出し感情」に基づいて分別のない地方叩きをし、無知のうちに日本に恥をさらす彼が、ゆとり世代をダメにする元凶であることを、我々はしっかりと理解しないといけない。

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