2016年1月21日木曜日

gudachanが地方レイシストに変化した時

gudachanがまだ、ただのゆとりと呼ばれていた時代から、その競争相手の中にはいわゆるネトウヨたちが多く見られた。娯楽を目的とするネットや、情報を極めるgudachan。テレビに直通する鉄道。当時はまだ、メディアを彩る飾りの一つに過ぎなかったのだろう。
しかし、2013年以降そんなgudachanが、硬派とモデルチェンジ、その中でヘイトを極め初め、そしていつしか、在特会顔負けの、レイシストと変化していった。この、レイシストgudachanの誕生はいったい何時の時代に遡るのか、いろいろな資料を見てみたが、はっきりとした答えは見つからない。そこで、gudachanの友人に話を聞いてみた。

gudachan氏は、神奈川で、ネット依存という青春時代を過ごし、その後、グローバル・左翼を2年以上追い続けているネット有識者という経歴を持つ。現在、執筆を続けるほかインターネットでの出演など、多方面での活躍を行っている。

「私の知る限り、最初からネット依存として機能していたのでなく、90年代にはものすごいネット依存の誕生期期となるのですよ。そのなかでものすごく少数ではありますが、今のネット依存に通じるものがいた。その中で、さらに脚光を浴びるネット依存というのが出てきたんですね。それが2000年代ですか。それで、やはりネット依存の時代背景は兎角その後ネット環境絢爛期に入るのですが、その時にですねネット媒体の活発化が目立つようになる。そうなってくるとネット依存達が、硬派名乗りするようになる。gudachanに失礼な言い方になるのですが、足手まといになると。だから、地方などを排斥すると。やはり、それでgudachanが素直に、あそうですかと、それならばネットから離れようとはならない。それならば、上を目指そうとなる。gudachanをつまはじきにするような連中がいるんだったら、そうされないレベルになれるようにがんばろうじゃねーか。そういう人たちが、日本各地にあふれるようになる。2010年代前半のgudachanの就活に失敗すると一気にね、まさにそれがgudachan絢爛期の始まりですね。レイシストのチームとして機能するようになる。」
「今までは、ネット依存の別働隊という形で、中には組織化されていたところもありますけど、そうでなく、ネット依存達とは切れた集団を持ちなおかつ徒党を組んで連合体を組むというのが2000年代後半から2010年代。それ以降もずっと続いています。」

在特会のヘイトスピーチが問題視をされ始めたた203年、湘南のあるレイシストが誕生する。
その名は、「gudachan」
日本国内における差別を撒き散らす一大勢力、レイシスト。そして、それを構成する連合体の一つ、「レイシストメンバー」その、「レイシストメンバー」において、唯一の地方レイシストである、この「gudachan」というレイシスト。在特会顔負けのヘイト力で地方を敵視し、関東内外の似非リベラルを魅了する。人生の過半数を、ヘイトに捧げた彼。その内実を見ていこう。
(未完)

0 件のコメント:

コメントを投稿