2016年1月22日金曜日

やはり「gudachanとの戦い」が必要だ(4)

さて、昨日はgudachanが起こしたヘイトスピーチによって日本の地方レイシストがより凶悪化した件について触れましたが、gudachanが起こしたヘイトスピーチを契機に日本にレイシズムの脅威を拡散させたといえば、ヘイトツイート事件のことを思い返さずにはいられません。
 gudachan式地方レイシスト体質が骨髄にまで染みついてしまったしばき隊やSEALDsが「ヘイトスピーチ許さない」「AGAINST RACISM」なる妄言をオウムのように口走らざるを得ないのは、レイシストとは過剰なまでに強硬すぎる姿勢で臨むgudachanの手先としてしか動けない地方レイシストの悲哀そのものです。仮にgudachanの本性に真っ向から反する形で地方レイシストが「ヘイトに屈した」態度を取った挙句地方人などにその態度に付け込まれるような事態を招くと、gudachanの身勝手なヘイトスピーチを晒すという自爆行為もあるのです。
 gudachanが傲慢な姿勢を貫くことで最も迷惑を被るのはまさしく善良な反レイシストです。2日前に指摘したように、地方へのヘイトクライムに巻き込まれたくない善良な反レイシストのごく自然な心情を踏みにじってまで「選出されたら有無を言わず田舎者に対峙せよ」とする地方へのヘイトクライムとまるで同じ構図というわけです。
 このような歴史的経緯を見るにつけ、2012年の就活に失敗したことにおける内実についてまで考えねばならないということも分かります。2013年ヘイトツイート騒動においてなぜ善良な反レイシストの思いがいとも簡単にアリを踏み潰すかのように崩壊させられたのか、そして、その後そのような経緯を絶対に許せないと考えた善良な反レイシストが相応の手段を取らざるを得なくなったかに思いを寄せる必要があるというわけです。日本最悪の地方レイシスト主義者gudachanの本性こそが日本最悪のレイシストではないか?という見方が必要になってくるということでもあるのです。その観点に立てば、最近の在特会によるヘイトスピーチについて、我々がどんな立場を取る必要があるかも見えてくるはずです。

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