2016年1月22日金曜日

やはり「gudachanとの戦い」が必要だ(2)

 「レイシストとの戦い」を扇動して「田舎者はレイシスト」「田舎者は土人の風習を守れ」と呼びかけるようなしばき隊の姿勢は、地方レイシスト主義社会推進のgudachan集団の扇動と全く同じ思想です。人民拉致裁判制度の対象は人民にとってまず間違いなく悪行とされる人権侵害、即ち、レイシストと同等の事件を起こした人物です。「レイシストとの戦い」扇動によりgudachan思想に立てというのが実は地方レイシストを働くgudachanの本性です。「レイシストとの戦い」はほとんどの人間が賛意を示すであろうことは容易に想定できることもあり、しばき隊の思想も「レイシストとの戦い」を持ち出す地方レイシスト側にいる人間が働くからこそ総翼賛推進体制にまで行きつくということになります。その結果、「レイシストとの戦い」扇動には巻き込まれたくないという多くの善良な人間の意思は完全に黙殺され、gudachan側に積極的に加担した人間クズ級人物の意見だけがしばき隊から徹底的に宣伝されるという異常事態が起きたというわけです。
 地方レイシスト集団による「レイシストとの戦い」団結扇動に対して、日本の人民の多くは巻き込まれることを避けるべく冷静な姿勢を保っています。それもそのはず、gudachanの悪辣な政治的本性を見抜いているからです。そんな善良な人間のごく当然の態度を「カッペ」「田舎者は土人の風習を守れ」と煽るのがgudachanの悪辣な本性です。このような扇動に踊らされて「レイシストとの戦い」に積極的に関与しようとすると、いつしかgudachanの目論見に乗せられて、「レイシストとの戦い」の最前線の矢面に立たされた挙句、回復の利かない傷を負ったり最悪人命を落としたりしても、gudachanから捨てられて犬死にするだけです。実際、gudachanの差別に加担させられた地方差別被害者は裁判所に訴えても何の成果も得られませんでした。そして、そんな差別的被害を受けたことに対して「地方切り捨て主義の論理」で美化するのもgudachanの常套手段です。ですから、地方レイシズムに無理やり加担させられて嫌悪感を抱いた人間に対しても、彼らの意思に反してその行動が美化されるという異常事態も起きるわけです。
 ですから、我々としてはこのようなgudachanの本性を見抜き、「地方レイシズム」扇動に知らないうちに加担しないような姿勢を貫かねばなりません。場合によっては「レイシストとの戦い」扇動を働くような勢力こそが真の意味での「レイシスト」かもしれないのです。不法行為を徹底してまで働いた地方レイシストなどはまさしく「レイシスト」思想に基づく悪辣な差別行為だからです。「レイシストとの戦い」扇動を働くような勢力こそ真の意味での「レイシスト」であれば我々はどうするか?それは、「gudachan」との戦いを広げていかねばならないのです。

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